プレノンアッシュと電影風雲 〜香港映画の想い出〜

タイトルを見てピーン!ときた人は長らく香港映画を見ている方だと思う。
 
自分が海外に初めに興味を持ったのが香港であった事は過去にも書いたが、香港がどういう所か知りたい、身近に感じたいとの思いからまず手を伸ばしたのが香港映画だった。
それまでもテレビで流れてくるジャッキー・チェン映画などは見た事があったが、アクションシーンばかりが印象に残っているのみで、香港という場所への関心はほとんどなかった。
 
その頃の香港映画のイメージといえばカンフー、アクション、Mr.Boo!、キョンシー。
なので、なるべくそれらの要素のないドラマものならば、より現実的な香港の街や住居、生活などを見ることが出来るのではないかと思い、モラトリアムの真っ只中で有り余る時間を利用してレンタルビデオ店に行っては片っ端から誰も知っている役者の出ていない作品でも観漁った。
観るものがなくなると他の店に行って未見のものを探しに行く。
 
まだネットが身近でない時代、情報に飢えていた僕は関連の書籍や雑誌もどんどん読んだ。
 
実際にその世界に足を踏み入れてみると、その頃すでに「男たちの挽歌」シリーズは存在していたし香港映画は先述のような作品群だけではなくジャンルとして一定の人気を博していたのを知る。
 
学生だった1992年頃、アルバイト先の先輩に中国語を専攻している大学生がいた。
僕が香港映画好きという話をしたら、友達がそういう関係の仕事をしていると教えてくれた。
 
それが日本の香港映画史に名を残す「プレノンアッシュ」という会社。
 
『欲望の翼』『恋する惑星』『天使の涙』などのウォン・カーウァイ作品を日本に送り込み大ブレイクさせた映画配給会社として有名だが、同時に香港映画関連の映像ソフトやCD、書籍などを扱うショップや、「飲茶倶楽部」という香港映画ファンクラブのようなものを運営していた。
 
神宮前という今まで縁のなかったオシャレ感漂う街に建つビルの3階その店「香港電影船 HONG KONG CINE SHIP」はあった。のちに南青山に移転(もっとオシャレな場所になった)し名称も「シネシティ香港」となるのだが、電影船当時は割とこじんまりした店構えだった記憶がある。
先輩から聞いていた方にも会うことができ、以降定期的に店に通うようになる。

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「香港電影船」時代のカタログ
「飲茶倶楽部」に入会すると毎月「香港電影通信」という会報と商品カタログが送られてくる。
映画雑誌を買っても目当てが香港映画のみだった自分には貴重な情報源。
購読していた分は全部とってあった。
A2サイズを二つ折りにした新聞っぽい作り。4ページではあるが紙面はびっしりと活字で埋め尽くされている。

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「香港電影通信」
内容は作品紹介や出演者、監督などのインタビュー、現地の映画賞情報、映画だけでなくコンサートレポもあり様々。

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映画祭に向けた香港ツアーも行っていた。
 
この会報が届く周期に合わせるように店に足を運んでいた。ファンにとっては行くだけでも安心感のある心の拠り所だったのではないかと思う。

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「シネシティ香港」のカタログ
そして自分にとって大きな出会いがここではあった。人物ではなく、商品。
 
書籍のコーナにひと味違うオーラを放っていたこの本。

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『電影風雲』・・・?手作り感に満ち溢れたその見た目からよく分からないパワーが伝わってきて、思わず手にとっていた。
何より香港映画しか載っていない本というだけでその時の自分には買う以外に選択肢はなかった。
 
この本はよしだまさしさん、いとうたかしさんの両名からなる「アジアン・エンターテインメント研究会」による、いわば同人誌(ご本人達は“ミニコミ”とも書かれている)である。
『電影風雲1993』のようにタイトルの後に西暦が付いている通り、発行は基本的に年一回のペース。たまにスピンオフや二冊目の発行だった時は「續集」として出されたりもしていた。創刊から3号まではまさに手作りのコピー誌だった。(その後はオフセット印刷に移行されページ数も発行部数も増加。)
 
しかし内容は作品評、エッセイ、観劇レポから創作まで、外部作家(商業漫画家・寺島令子さんも連載していた)による寄稿も含めマニアの粋を集めたと言っていい力作にして労作である。

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「電影風雲」目次
いつしかただの香港映画ファンと化していた僕は毎年この本を購入し、穴が開くほど読んでいた。
しかしこの“出会い”は思っていたよりも大きな影響を与えてくれた。
 
特に1992年に増刊号として出された『台湾風雲』。主宰のお二人が友人と台湾に旅行した時のお話が書かれていて、それがとても面白かったのと同時に台湾と香港映画の関係性が決して遠くないということを知り(当時は台湾の事を本当に何も知らなかった)、一気に興味が湧いてきた。
 
白状するがこの本でパパイヤミルクというものを知ったし、現地へ向かうきっかけになった。
ちなみにここに書かれていた「映画館の従業員に頼み込んで余ったポスターをもらう」もその後現地で真似させて頂いた。笑
さらには映画のみならず今でも台湾が好きな理由の一つである音楽も知る事が出来た。
皮肉なことにすっかり香港より台湾に行く回数の方が多くなってしまったほど。
 
台湾についてどんなガイドブックよりも参考になるものに最初に遭遇出来てラッキーだった・・・のだろうか。
 
他にも横浜中華街、池袋、新大久保などにある中国人向けの店では現地のビデオをレンタル(買うことも出来る)していて、日本語ナシではあるが未公開作品が観られるという記事を見て実際に買いに行ったりもした。
 
しかし、それほどのめり込んだ中華圏への関心も、就職から年月を重ねるごとに薄れていき、あるタイミングで「もう必要ない」と判断し所持していた全冊を処分してしまった!今となっては死ぬほど後悔している。
 
オークションサイトにたまに出品されているのを見るが大抵おいそれと入札出来ないくらいの値段が付いている。
 
少し前になんとか1994年から最終号の2002年まで入手する事が出来たものの、自分がリアルタイムで買っていたそれ以前のものはまだ買い直し出来ていない。特に『台湾風雲』はなんとかもう一度手に入れたい。
 
最終号ではインターネットの普及により自分たちの役目を終えたという旨の挨拶文に始まり、最後の「さらば!電影風雲」ではこれまでの経緯が詳細に書かれていて興味深い。2002年ということは既に僕は中華圏からは離れていた頃なので今になってようやく読めた。
 
ここでは先述のプレノンアッシュ「香港電影船」「シネシティ香港」との関わりについても述べられている。やはり当時かなりの人気を得られていたようで、コピー誌期から増刷していたというのは凄い。ならば持っている人まだそれなりにいるんじゃないかな?どなたか譲ってください・・・。
 
“香港映画の衰退”と共に幕を閉じた『電影風雲』。それから11年経った2013年にプレノンアッシュは日中合作映画として企画していた『一九〇五」の資金繰りがショートした事が引き金となり倒産してしまった。
 
青春時代に大きな影響をくれた両者には遅ればせながらも改めて感謝の意を表したい。
 
そして半年前に久し振りに訪れた香港が混迷に陥っている。ステキだった香港を返して・・・。