旅と音楽〜THE BOOM〜あの頃、僕は宮沢和史になりたかった

沖縄が本土復帰を果たして今年で50年という事で、NHKでは連日沖縄関連の番組が放送された。
その中でも沖縄の音楽を取り上げたものがいくつかあって、沖縄出身の音楽家たちが満遍なく紹介される中、沖縄出身でないヤマトンチューながらもれなくその顔触れに加わっていたのがTHE BOOM。

そう、大ヒット曲『島唄』があるため。

THE BOOMといえばバンドブーム世代なら当然知っている有名バンドだ。
しかし当時すぐ浮かんだのはCMで使われていた『星のラブレター』だ。
♪君にぃ〜会いに行くよぉ〜君に会いにぃ行くぅよぉ〜
というやつである。

それだけに実は『島唄』がリリースされた頃は正直なところピンと来なかった。
「ブームも変わった方向に行ったな」くらいのもんである。

それから時は流れ1994年頃、すでにアジアン・ポップスを聴くようになっていた僕はある一曲を耳にする。

THE BOOMの『帰ろうかな』である。

耳にしたと言っても原曲ではなく、当時よく飲みに行っていた職場の先輩が歌ったカラオケだった。
しかしその先輩というのがプロ級に歌が上手く、恐らく原曲を忠実に再現していたのだろう。
明らかにポップソングとしては異質なその曲に僕は食いついた。
「これ、ブームなんですか?」
「そう、『極東サンバ』というアルバムに入ってるんだ。オススメだね」とパイセン。

早速僕はCDショップに行き『極東サンバ』を購入。

それまでの“女性人気抜群のカッコいいバンド”というイメージからはかけ離れた何ともインパクトのあるジャケットを開きCDを再生する。

するとアルバムタイトルの通り、ロックとは違うベースラインからパーカッションが鳴り響く。
その後もかつて耳にしていたブームの曲の印象とはまるっきり異なるサウンドが続く。

「ブームって沖縄行ったと思ったら今度はマジでサンバなんだ…。」

ただ、先述の『帰ろうかな』はサンバではなく、インド楽器タブラとレゲエが混ざったようなリズムに演歌っぽい歌が乗る、もっと民族音楽色の強い曲である。

これは同じアルバム収録曲の『berangkat-ブランカ-』と同様、タイアップで作られたシングルのためと思われるが、この『berangkat〜』もサンバではないものの、JALのバリ島キャンペーンソングということもありガムランを取り入れたエキゾチックなアレンジで、アルバムのコンセプトに違和感なく溶け込んでいる。

そしてシングルといえば後に『風になりたい』もシングルカットされ大所帯のサンバ隊を引き連れてテレビの歌番組に多数出演。
『島唄』同様、またしてもロックバンドの殻を破って世間にインパクトを残した。

当時僕はアジアン・ポップスにハマっていたこともあり、ワールドミュージックにアプローチするTHE BOOMにもどっぷりハマった。

宮沢和史の音楽的ルーツにはブラジル、沖縄の前に元々レゲエがあり、THE BOOMの初期はスカの曲も多く、ソロ活動ではMIYA&YAMIとして『神様の宝石でできた島』というレゲエ曲を出している。

そして1992年にはディック・リーのミュージカル『ナガランド』に出演したりと、ミヤが世界に目を向けるに充分な縁が広がっていく。
ちょうどこの頃THE BOOMはバンドとしての活動を休止しており、リスタートして発表したアルバム『FACELESSMAN』にはそれらを経てインプットされたものがこれでもかと言わんばかりに込められている。

バンドとして大きくパワーアップしたこのアルバムから『極東サンバ』、そしてその次の『TROPICALISM-0°』はコンセプトやサウンド面などで共通するところがあり、個人的にTHE BOOMのワールドミュージック三部作と位置付けている。
 
この頃は個人的にライブに行きまくっていた。THE BOOM以外にも。
THE BOOMでいうと、1994年に行われた“CLUB ASIA”はまさに「やってくれたな」というくらいのイベントだった。
シンガポールからディック・リー、中国からは当時日本でも人気だった艾敬(アイ・ジン)他、沖縄、台湾、フィリピンなどアジア各国のミュージシャンが一堂に会するというもの。
 
ただこれに関しては記憶が曖昧で、95年にも同イベントは行われていて、こっちには艾敬も崔建もいたので、こっちは覚えているのだが、94年は行ったかどうか忘れてしまった・・・。
その来日のタイミングで崔健は日清パワーステーションでワンマンライブを行い、シークレットゲストでTHE BOOMからギターの小林孝至氏が登場し、崔健バンドのギターとソロ合戦して余裕のパフォーマンスを見せつけていた。
1995年発行の「ポップ・アジア」誌を見るとインフォメーションの欄に「CLUB ASIA ’95」が9月19日、崔建のライブが9月17日となっている・・・あれ?崔建の方が後だとずっと思っていた。

 



その他にも沖縄関連の、音楽主体じゃないイベントにも出ていた記憶がある。


1996年、僕が中国に留学に行った時もカセットに『極東サンバ』をダビングしてひたすら聴いていた。
南方の地方都市にある大学で海辺だったこともあり、風景にとてもマッチしていた。
(ちなみに寮のルームメイトが持参していた当時の最新J-POPセレクトのテープにはシングルヴァージョンの『手紙』が入っていた)
 
私は日本からミニギターとブームのスコアブックを持って来ていた。
すると新学期には同じくギターを持って来た男子と、なんと三線を持って来てた女子が現れた!
そして国籍問わず留学生が主催したパーティで、三人で『島唄』を演奏!予想していなかった形でスコアブックが役に立ったのだ。

日本人チームによる島唄演奏。右が筆者
夏休みにはなんと日本から友人がわざわざ遊びに来てくれて、お互いにTHE BOOMが好きだったのでお土産に『TROPICALISM-0°』と沖縄民謡のアルバムをテープに録って持って来てくれた。

こうしてこの三枚のアルバムは当時の自分の境遇が似た方向を向いていた事でとても思い入れの深いアルバムとなった。

しかしそこでやり切ったのか、再びTHE BOOMは活動を休止。その後は原点に帰るべくロックバンドとしての音を追求。

そして僕自身も留学から帰って就職し、日本での日常に埋没していくと共にアジアへの思いも段々と薄れ…。
 
それでも1999年発表のアルバム『No Control』は聴いた。その時はそんなブームの変化について知らなかったから。
しかしそれまでのサンバ隊が奏でるリズムはなく、ワールドミュージック要素はあるものの、どちらかというとシンプルなバンドサウンド中心で、『FACELESSMAN』に近いかも。
『大阪でもまれた男』なんかはスカが復活している。
 
その後は音楽自体あまり聴くことも少なくなり、THE BOOMについてもすっかり追わなくなってしまった。
2014年の解散に関しても、古い知り合いの知らせを人づてに聞くように、軽く受け止めるにとどまってしまう始末だった。
 
------------------------------------------------
 
時は流れ、そんな会社員生活も20年を越そうかというタイミングでいきなりアジアの世界へ引き戻されることになり、脳内が当時に巻き戻ったのをキッカケに音楽もまた聴き始めたのだ。
 
2019年、まだコロナが来襲する直前、ミヤが故郷・山梨県甲府市でソロコンサートを行うということで日帰りのプチ遠征を敢行。
ブーム解散に関することや自身の病気に際しての活動休止に関してなども語られた。
大半が一人でギターの弾き語り。ブームの曲もたくさんやってくれた。
 
この時に歌われた『24時間の旅』は、私がブームを追わなくなってからの曲なのでほぼお初だったのだが、実にミヤらしい歌詞でとても印象的だった。
実は当ブログのタイトル「ドアの向こうは」もこの曲の歌詞から戴いている。
この頃は私自身長年勤めた会社を辞めて元々好きだった台湾をはじめとする外国にたくさん行こうと決意したタイミングでもあったので、この曲が多分に染み入った。
 
「あぁ、あの頃俺は宮沢和史になりたかったんだ」
 
20年余りの空白を経てここにも心の拠り所が残っていた、そんな思いだった。
 
しかしそんな矢先、世界をコロナが覆い尽くし、海外旅行など一気に夢のまた夢になってしまった、と絶望に近い感覚にも陥ったが、よくよく考えたら自分には今だからこそ目指す場所があるということに気づかされた。
沖縄だ。
 
これだけTHE BOOMなどを通して触れてきた沖縄に、まだ私は行ったことがない。これまで国内もそれなりに旅したのだが、憧れがありつつなぜか遠い場所の様な・・・そんな感覚のまま今に至ってしまった。
2022年現在、まだまだ収束が見えないコロナが海外渡航を阻む今。
いよいよその時が来たということか。


www.youtube.com

 

 

FACELESS MAN

FACELESS MAN

  • アーティスト:THE BOOM
  • ソニーミュージックエンタテインメント
Amazon
極東サンバ

極東サンバ

  • アーティスト:THE BOOM
  • ソニーミュージックエンタテインメント
Amazon

 

TROPICALISM‐0°

TROPICALISM‐0°

  • アーティスト:THE BOOM
  • ソニーミュージックエンタテインメント
Amazon