「アジアン・ビート」から「濱マイク」〜あの頃、僕は永瀬正敏になりたかった

2002年に制作されたテレビドラマ『私立探偵濱マイク』が20周年を記念してHuluやアマゾンプライムなどで配信が開始。
特筆すべきはテレビ放映時のまま、という点。
テレビ放映後、VHSやDVDでソフト化されたものの、オープニングで流れていたEGO-WRAPPIN’による主題歌『くちばしにチェリー』がカットされていたのと、第5話「花」に出演していた南原清隆氏のシーンがこれまたカットされていたのが見られるのである(これに関しては後述)。
 
私は「濱マイク」に関してはドラマの前、1994〜96年に上映された映画版にはどハマりしたのだが、テレビドラマ放映までの6年までの間には若かったこともあり興味の対象はすっかり移ろい、マイクがドラマになって帰ってくる!という知らせにもさほど心は動かなかった。
更に実際に内容を観てみると、僕が好きだったマイクはキャラ変しているし、その他の登場人物や細かな設定についても映画版とは違っていた。
今でこそそんなのは諸事情で当然であろうことは理解出来る。が、映画版に並々ならぬ思い入れがある立場としては当時のテンションを呼び起こさせるまでには残念ながら至らなかった。
 
映画版の「濱マイク」は林海象監督がかつての日活アクションを意識して作られた。宍戸錠さんが“エースのジョー”として登場したり、一作目が白黒なのもそのためだ。
鑑別所上がりでかつて“狂犬”と呼ばれながらも探偵として独り立ちし、妹を大学に行かせるために日々奮闘するマイク。
対してテレビドラマ版は林海象監督の手を離れ、先に触れたマイクのファッションやキャラクターはだいぶポップで軽佻浮薄になっている。女性に対して不器用どころかキャバ嬢を二人も常にはべらせたりしているし。
 
このように映画版とドラマ版はわずかな点でしか繋がりを感じないのであるが、妹・茜以外の登場人物が一新(その茜すらも演者が違う)された中、南原清隆氏が映画版で演じたマイクの相棒・星野光だけがなぜか突如現れる。
そして久しぶりという挨拶もそこそこに会話をする(内容は本編にてご覧下さい)のであるが、このシーンは一体なぜ撮られたのか、そしてここに挟み込まれた意味は・・・?というくらいストーリーとは関係ない。なのでカットも容易にできたのだろうし、それが前提だったのかな、とすら思える。
しかしながら映画版では重要な役どころだっただけに、どんな形であれ存在を示してくれたのは嬉しい。
 
と、ここまで書いてなんだかドラマ版を否定しているように思われるかも知れませんが、今ではどちらのマイクも好きだし、半ば別のものとして楽しんで観ています。
 
実際、テレビドラマによって「濱マイク」はより多くに人に知られるようになったでしょうし、永瀬正敏氏の代表作の一つとして決定づけられたのではないでしょうか。
 
そのため濱マイクに関しては色んな方が文章にしていると思うのでここまで。
 
私が触れたいのは永瀬氏が「濱マイク」よりも前に出演した、『アジアン・ビート』シリーズ。
 
当ブログにおいては同年代に放送されていたテレビ番組『アジアNビート』の方は取り上げていましたが、今度は映画の方です。
こちらも当時アジアに興味津々だった自分には重要な作品なのです。
(蛇足ながら『アジアNビート』第1回、第2回には永瀬氏がVTR出演しています)
 
『アジアン・ビート』は林海象氏の企画・総指揮のもと、日本を含むアジア6カ国の若手映画監督によって制作された連作プロジェクトで、公開は全て「濱マイク」の3年前、1991年。
 
この当時私は香港や台湾の音楽を聴いたり、映画を観漁っていたこともあって、アジアを舞台に日本人俳優が主演をするというので当然のように食いついた。
6カ国の中には大好きな香港、台湾が含まれていたのも大きかった。(ちなみにその他の国はシンガポール、マレーシア、タイ)
「永瀬正敏」といえばその時点ではTBSのドラマなんかに脇役で出ていた若手俳優、くらいのイメージで映画で見るのは初めてだった。
顔立ちもドレンディドラマに出るような甘いマスク、というようなタイプではなく眼光鋭い、キリッとした感じで特徴的な印象だった。
 
しかし、それがこの作品の主人公・トキオには激ハマり!そして圧倒的な演技力。一体他の人が演じてたらどうなっていたか・・・と思うくらい。
 
作品の概要としては、第1作である日本篇『アイ・ラブ・ニッポン』がやはり根幹であり、設定に関する描写がふんだんに盛り込まれている。
 
主人公・トキオは「東和興信所&極東モデルクラブ」という人材を紹介する会社(社長と二人きりだが)で働く青年。しかしその実態は外国人の不法就労者を斡旋する仕事が中心である。
ある時町で偶然知り合ったフィリピン人女性、そして斡旋の現場で武闘派の右翼団体と鉢合わせてトラブルになった事が絡み合い、大きな事件に巻き込まれる。
 
この中でトキオは両親をフィリピンのテロ組織に殺害された事、その頃にタガログ語を覚えた事、他にも中国語を話すシーンもあり。
そして謎の大物フィクサー?草薙に古くから目をかけられ、彼女のことを嫌いながらも時々トラブルシューティングなどの仕事を請け負っている。
 
この全てが他の作品で生かされている訳ではないにしろ、アジアを渡り歩く強さみたいなものを備えている人物であることは強烈にイメージ付けられているのだ。
第1作をそのまま受け取ればなぜトキオがアジアを転々としているのかが納得出来るし、その陰には草薙の存在が大きく関わっているのも感じられる。
 
ちなみに『アジアン・ビート』は日本篇のみ劇場公開、その他はVHSとレーザーディスクでソフト化されていて、DVDにはなっていません。
なのでもっと色んな人に観られるべき作品なのになかなか難しい。
 
連作ながら日本で全て上映しなかったのはそれぞれ現地の映画として制作されたからという訳か。
最低限の設定を守れば後は監督の意向はかなり自由に反映出来たそうで、そのためストーリーから作風から各作品バラバラ。
ドンパチアクションあれば涙もののドラマもあり。
 
中でもシリーズ最終作であるクララ・ロー監督の香港篇『秋月』は、主人公が「トキオ」である事以外はシリーズの設定がまるっきり使用されておらず(テーマ曲などの音楽すらも)、テンションは一定して静かで、香港らしい猥雑な街並みも出てこない。香港らしさといえば中国返還を控え海外移住に揺れ動く登場人物の複雑な心情といったところ。
最初はそれまでの作品とのあまりの違いに戸惑った。実際に林海象Pも最初は怒ったとのこと。しかし最終的にはそのままGOサインを出し、同作はロカルノ映画祭グランプリ他数々を受賞するなど高い評価を得ています。
 
それでも、アジア各地に溶け込むトキオの姿はアジアに憧れていた若かりし自分には多いに刺激を受けたし、これで永瀬正敏氏のファンになった。
そして「濱マイク」へと繋がるのである。
 
『アジアン・ビート』では監督ではないものの、日本篇に出演している俳優陣は林海象作品の常連が多く、「濱マイク」シリーズは言わずもがな。
加えて映画版第1作『我が人生最悪の時』で台湾人青年を演じたのが台湾篇『シャドー・オブ・ノクターン』にも登場する楊海平氏で、ラストでマイクが台湾を訪れるシーンには思わずトキオを重ねてしまう。
そのためか、トキオをマイクの原型と捉える人は多い。私もその一人。
 
私は「濱マイク」映画三部作を全てリアルタイムで撮影場所でもある横浜黄金町の日劇で観ている。
初めて行く場所であったが、横浜の持つ古くからの異国情緒はとても刺激的で映画の世界そのものだった。あの頃はまだ浄化作戦前で売春宿などもあったと思われる(当時はそんな事知らなかったけど)。
 
前回の記事で書いた、宮沢和史氏をミュージシャンとしてのアジアンヒーローとするなら、永瀬正敏氏は映画の世界でのアジアンヒーローだった。
 
そう、あの頃僕は永瀬正敏に(も)なりたかった。
 
その後アジアだけでなく欧米の映画にも多数出演している永瀬氏であるが、この『アジアン・ビート』を原点として、台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』など今に至るまで台湾とは深い接点を持っています。
 
そしていつの日か、『アジアン・ビート』シリーズが再びDVDやBlu-rayで観られる事を願っています。