ファンキー末吉と中国ロック、そしてBEYOND

相変わらず仕事以外は基本家に引き篭もっている生活、さぞや時間が有り余って・・・いると思いたいのですが、そこで目一杯有意義な時間を過ごすというのが出来る人とそうでない人がいるようで、僕は後者である事を見事に証明しつつある毎日。やる気スイッチはどこにあるんだろ。

 
いくらなんでもダラけすぎだと思い、最近していなかった読書をしてみた。
 
まずはこちら。
 

『中国ロックに捧げた半生』ファンキー末吉 (2015年)

中国ロックに捧げた半生

中国ロックに捧げた半生

 

 

ファンキー末吉さんといえば1980〜90年代に活動していたバンド“爆風スランプ”のドラマーで、バンド在籍中に休暇で訪れた中国で黎明期のロックと出会い、以降中国人女性と結婚したり中国に移住するくらいまでのめり込んだ方である。
その時期はちょうどこのブログでは度々触れているアジアンポップスブームで、中国ロックのアーティストも続々「発掘」されては台湾のレコード会社などからメジャーデビューしていて、ファンキーさんもその経緯を本に書かれていたので読んでいた。
ちなみにこの体験をもとに小説も書かれていて、後に『ロッタレイン』などで知られる松本剛によって漫画化もされています。オススメです。
天安門にロックが響く

天安門にロックが響く

 

 

 

そして今回読んだ『中国ロックに捧げた半生』はだいぶ時が経って2014年から高知新聞での連載をまとめたもので、“その後”のお話も加わったご自身の中国ロックに関する集大成的な内容となっていて、ファンキーさんの人生を激変させた中国ロックとの関わりを知る事が出来る。
 
そしてもう一つ、中国ロックと共にファンキーさんを筆頭に深い関わりを持っていたBEYONDも登場する。(BEYONDについては前回記事をご参照ください)
当時BEYONDが日本進出にあたって籍を置いていたのがアミューズだったのですが、そこに同じく所属していたのが爆風スランプで、事務所内に広東語はおろか中国語が出来るスタッフがいなかった事もあって日本にいる間の私生活においても面倒を一番になってみていたのがファンキーさんという事で様々なエピソードが綴られています。
 
僕自身ある時期から中国ロックを追わなくなっていたので、当時聴いていた中国ロッカー達がどうなったのか全く知らなかったし、情報源もなかった。
それはBEYONDもしかりで、日本国内ではあまりに伝わってくるものが少なすぎる。
 
それがここにはファンキーさんを魅了したほど初期衝動に溢れていた中国ロックが年々その勢いをなくし、商業主義に走っていく様が生々しく語られている。
個人的には中国ロックバンドを代表する“黒豹”(ヘイバオ)の元ヴォーカル・竇唯(ドウ・ウェイ)が脱退するそもそもの原因が、彼の元妻で日本でも有名な世界的歌姫となった王菲(フェイ・ウォン)だった事(知らないの僕だけ?)や、その後復帰の話が実現寸前まで行っていたとかには驚いた。
 
BEYONDに関しては日本に来た時から黃家駒の死により日本を撤退するまではもとより、バンドが活動休止した後の事、取り分け表向きにはスポットが当たらなくなった(と思われていた)ドラムのウィング(葉世榮)との出来事にまで大きくページが割かれている(日本の女性歌手と交際していたとか!)など、ここに書かれているのは余りにも貴重な裏話ばかり。これはファンキーさんにしか書けない本だ。ちなみに僕が好きなポールは日本では文句言っているエピソードばかり。笑
 
ビジネスで中国と関わって痛い目に合う日本人が多い中、中国人を理解し、たった一人で多くのコネクション(中国語で“关系”=関係)を作り上げ、中国ロックの歴史に入り込んだそのバイタリティはモンスター級だ。まさに音楽は国境も言語も超えるのである。
それにいくら中国のロックが牙を失おうともプイッと背を向ける事なく“关系”を保ち、向き合い続けるファンキーさんの人柄とロックに対する責任や忠誠心にも感服する。
・・・と書くと凄くキレイなまとめになってしまうが、ご自身のエピソードは色んな意味で“ロック”そのもので、ご家族や関係者など対峙する方もファンキーさんのエネルギーを受け止めるだけの力が必要そうだな、とも思いました。先に記したそのバイタリティは余りに破天荒過ぎだから!
 
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そしてその勢いのままもう一冊ファンキーさんの著書を読む。
 
『平壌6月9日高等中学校・軽音楽部 平壌ロック・プロジェクト』(2012年)
ファンキーさんが中国に移り住んでしばらく経った2006年、突如北朝鮮に通いつめる研究者から北朝鮮でロックを通じた音楽交流をしませんかと声をかけられた事から話は始まる。
 
私は「ロック」という言葉に弱い。すぐに心動かされる。「ロック」とつけば何でも正しいと感じるぐらいそれは偏執的だった。
 
と書かれているように、中国でロックを探し求めた時に戻るかのように北朝鮮に渡ることになったファンキーさん。
近年のような発展を遂げる以前から中国に添い遂げた経験から、現在でもゴリゴリの社会主義をゆく北朝鮮にも恐る恐るな部分もありつつすんなり入り込んでしまう。
 
自分が歩いている場所や見ている情景が果たしてリアルなのか、はたまた外国人向けに作られているものなのか100パーセントは分からないまでも、見たままを受け入れ真摯に役目を全うすべく、案内された学校の音楽部の生徒に「ロック」を教えていく。
 
この時の様子はファンキーさんのサイトでもブログ記事とともに動画も公開されているので必見!
本に書かれている事が実際に動画で見られるとなると臨場感がこれほどまでに増すというのが分かる。
 
7年間にわたって北朝鮮での活動をしているので生徒も代替わりするのですが、それぞれファンキーさんが呼びやすいようにあだ名を付けていて、それぞれの個性に沿ったエピソードを紹介してくれるので読んでいるこちらもいつの間にか感情移入してしまう。最後の方に男子が一人入るのみで、それ以外に登場するのが全員女子生徒なのもあるかもしれない。
本文中にも「けいおん!」との記述があるように、北朝鮮の話という事を忘れるくらい親近感が持てる。
そういえば北朝鮮の音楽というとモランボン楽団とか女性の印象が強い。やはりイメージ戦略的なものがあるのだろうか。
 
それだけに卒業してしまった生徒はもう北朝鮮人民として社会に放たれてしまうのでもう会うことが出来ない。その部分にはハッとさせられる。そうだ、やはりそういう国である事は忘れてはならないのだと切なくもなる。(一度だけファンキーさんに会いに来た卒業生はいた)
 
『中国ロックに捧げた半生』にしろこの本にしろ、ロックを通じて両国に足を踏み入れたものにしか分からないリアルというものが伝わってくる。
しかし僕がこの本を読んで凄いと思ったのが、日本人が書く北朝鮮訪問記の多くが「この国はこんなに変わっている」という事をいかに面白おかしく表現するかをテーマにしているのに対して、音楽に関する記述がとても多い。
生徒たちの音楽スキルに対してどういう風にアプローチするかなど事細かに書かれていて、カルチャーギャップものというよりは音楽書としての要素も強いと感じた。
僕自身、自分で音楽をやっているのでこの点でも大いに興味深く読めた。
 
これは訪朝のテーマである音楽交流というスタンスに対して最後まで真摯に向き合ったということと、社会主義を体感しているファンキーさんのなせるワザなのであろう。
ロックミュージシャンには楽譜が読めない人も多い中、本職がドラマーなのに楽譜を使いこなし、生徒が演奏する曲を聴いて採譜し、パートごとにアレンジ、奏法を指導して、オリジナル曲まで歌わせてしまうというプロフェッショナルさにおいてもこれ以上の適任者はいない。でなければ限られた時間で満足にプロジェクトを全うすることなど無理であったと思われる。
 
先述の通り、ファンキーさんのHPにある動画では、最初に学校を訪れた時に生徒たちの前でドラムを叩く模様が見られる。これは圧巻。生徒たちもその凄さに笑っちゃってる。
 
ただただ「ロックがしたい」というモチベーションがここまで人を動かすのか・・・海外に出て何かしたいという人は多いと思うけどそっちが先じゃないところがファンキーさんの凄いところだと思う。
 
で、今はカンボジアで活動されているらしい・・・。やはり行動力オバケだ!!