香港のロックバンドといえば何と言っても代表格はBEYOND。かつては日本でもメジャーデビューしています。
現在40代以上の年齢層ならリアルタイムでご存知の方もいるでしょう。
ちなみにBEYONDのメンバーについてここでは
黃家駒 (Wong Ka Kui)Vo. Gt.
黃家強 (Wong Ka Keung) Ba.
黃貫中 (Wong Kwun Chung) Gt.
葉世榮 (Yip Sai Wing) Dr.
として書きます。(メンバーの変遷があるため)
1983年結成、1999年に活動を休止して以降は再結成と休止を繰り返している状態ですが、メンバー間の不仲なんかも聞こえてくるなど、以前のような活動を望むのは今となっては難しい様です。
日本で香港エンタメやBEYONDを知らない人に話をする時、まず出てくるのが彼らの『長城』という曲のイントロ部分が日本テレビ系の番組『進め!電波少年』のオープニングに使用されていたということ。
そしてもう一つはフジテレビ系の番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』での事故であろう。
現在40代以上の年齢層ならリアルタイムでご存知の方もいるでしょう。
ちなみにBEYONDのメンバーについてここでは
黃家駒 (Wong Ka Kui)Vo. Gt.
黃家強 (Wong Ka Keung) Ba.
黃貫中 (Wong Kwun Chung) Gt.
葉世榮 (Yip Sai Wing) Dr.
として書きます。(メンバーの変遷があるため)
1983年結成、1999年に活動を休止して以降は再結成と休止を繰り返している状態ですが、メンバー間の不仲なんかも聞こえてくるなど、以前のような活動を望むのは今となっては難しい様です。
日本で香港エンタメやBEYONDを知らない人に話をする時、まず出てくるのが彼らの『長城』という曲のイントロ部分が日本テレビ系の番組『進め!電波少年』のオープニングに使用されていたということ。
そしてもう一つはフジテレビ系の番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』での事故であろう。
どちらも決して本意ではないのがファンとしての心情ではある。
1991年、BEYONDは日本進出を果たします。既存の楽曲や爆風スランプとのコラボ曲など日本語の曲をリリースし、メディアにも積極的に登場。僕自身もテレビで何度か彼らを見ました。
アルバムも所有しています!
その一環で当時人気だった先述の「やるやら」に出演となり、スタジオで大掛かりなセットを組んでコントなのかゲームなのか収録を行っていたところ、メンバーの黃家駒がウッチャンと共にセットから転落し、家駒は打ち所が悪かったため亡くなってしまいました。
番組は打ち切りとなり、BEYONDも日本から撤退。両者に大きな影を落とす事故でした。
特にBEYONDにとってはバンドのフロントマンであるヴォーカルの家駒がほとんどの楽曲を手がけていただけに、存続の危機とも言える状況でした。
しかし残った三人はBEYONDとして活動を継続。6枚のアルバムを出し(凄いと思う)、1999年に活動を休止。
以降、メンバーたちは各々ミュージシャンとしてソロ活動をします。
その中で僕自身が以降も好きなのがギター担当の黃貫中(ポール・ウォン)。
三人体制でのBEYONDでは家駒に代わって多くの曲を作り、ヴォーカルも担当しバンドの顔になりつつありました。
しかし家駒と大きく違うのが音楽性でしょう。聴けば分かりますが、ロックといっても激しめのノリだったり疾走感だったりといった感じのものはほとんどなく、どちらかというとどっしりしたものや暗い曲調が多い。キャッチーでアイドル的な人気も兼ね備えていたBEYONDからはポップさが引かれていた印象。
まぁリアルにそういう心情でなかったのもあると思うけど、しかし僕自身はBEYOND時代も合わせてポールの曲が好きです。
(でも僕が使用しているKK BOXは三人体制のアルバムが少ない。そして入っていないアルバムは中古市場で高騰している・・・)
1991年、BEYONDは日本進出を果たします。既存の楽曲や爆風スランプとのコラボ曲など日本語の曲をリリースし、メディアにも積極的に登場。僕自身もテレビで何度か彼らを見ました。
アルバムも所有しています!
その一環で当時人気だった先述の「やるやら」に出演となり、スタジオで大掛かりなセットを組んでコントなのかゲームなのか収録を行っていたところ、メンバーの黃家駒がウッチャンと共にセットから転落し、家駒は打ち所が悪かったため亡くなってしまいました。
番組は打ち切りとなり、BEYONDも日本から撤退。両者に大きな影を落とす事故でした。
特にBEYONDにとってはバンドのフロントマンであるヴォーカルの家駒がほとんどの楽曲を手がけていただけに、存続の危機とも言える状況でした。
しかし残った三人はBEYONDとして活動を継続。6枚のアルバムを出し(凄いと思う)、1999年に活動を休止。
以降、メンバーたちは各々ミュージシャンとしてソロ活動をします。
その中で僕自身が以降も好きなのがギター担当の黃貫中(ポール・ウォン)。
三人体制でのBEYONDでは家駒に代わって多くの曲を作り、ヴォーカルも担当しバンドの顔になりつつありました。
しかし家駒と大きく違うのが音楽性でしょう。聴けば分かりますが、ロックといっても激しめのノリだったり疾走感だったりといった感じのものはほとんどなく、どちらかというとどっしりしたものや暗い曲調が多い。キャッチーでアイドル的な人気も兼ね備えていたBEYONDからはポップさが引かれていた印象。
まぁリアルにそういう心情でなかったのもあると思うけど、しかし僕自身はBEYOND時代も合わせてポールの曲が好きです。
(でも僕が使用しているKK BOXは三人体制のアルバムが少ない。そして入っていないアルバムは中古市場で高騰している・・・)
ソロになってからの曲を聴いてもその路線も踏まえながら、ミクスチャーやオルタナ感も加わってさらに広い音楽性をギタリストらしく聴かせてくれる。なんとなく体温低め(テンションではなく)な感じ、陳腐な言い方ですがカッコイイ。
御歳56歳。近年は自身の音源のリリースがないみたいですが、まだまだ香港ロックの先駆者の一人として活躍を見せて欲しいものです。
御歳56歳。近年は自身の音源のリリースがないみたいですが、まだまだ香港ロックの先駆者の一人として活躍を見せて欲しいものです。
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2019年3月、香港での夜。
狭苦しいドミトリーの宿でシャワーを浴びた後、コンビニでビールを買って、プロムナードで涼んでいたら歌声が聴こえてきた。
その方向に目をやると、アコースティックギターを抱えた青年。
歌っていたのはBEYONDの曲だった。
BEYONDはその名の通り時代をも超えたロックスターなのだと嬉しくなった。
あれからすぐにデモが始まり、今に至るまですっかり香港はそれまでの景色を一変させてしまった。
香港に一日も早く平穏な日々を。
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そして今回はBEYONDの『霧』をカバーしました。
三人体制のポール作曲。当時あまりの変化に衝撃を受けながら今でも大好きな一曲です。
歌詞は広東語ですが、漢字から読み取れる内容は切ないです。