アジアンポップスむかし話

今回は音楽について。
 
前の記事で書いた通り、香港映画にハマっていた僕は自然と音楽の方にも目を向けるようになる。
そのころの香港の映画スターは歌手としても活動している人が多かった事が大きかったように思う。
 
プレノンアッシュが香港映画の専門店を青山に構えるくらいなので香港映画と周辺の音楽は一定数のファンを抱えていたようだった。
当時何の集まりだったかは忘れてしまったけど、香港映画ファンのオフ会みたいなのがあって、まだ珍しかった中華ポップスが歌えるカラオケボックスに行った記憶がある。
 
僕自身はその後台湾にも興味を広げると、音楽に関してはもっぱら台湾をメインに聴くようになった。
 
音源は専門のショップは今よりもいくつかあったようであるが、僕が一番利用していたのが東京は新宿のマルイ地下にあったヴァージンメガストア。
香港や台湾の音楽は大型CDショップでは「ワールドミュージック」にカテゴライズされていて、それらの店の中でも一番中華ポップスが揃っていた(と思う)。
 
そして1994年、フジテレビの深夜枠で伝説?の番組『アジアNビート』が始まる。
 
東京をキーステーションとして、韓国、台湾、香港、フィリピン、タイ、マレーシア、シンガポール(以上番組冒頭による)の音楽を紹介するという内容で、メインMCにこれがテレビレギュラー初となる、ユースケ・サンタマリア(開始当初「ゆうすけサンタマリア」のテロップも)。アシスタントMCは初期に韓国の四人組アイドル“S.O.S.”、その後文恵子さんという方が務めていた。
 
当時ユースケはデビューしたばかりのラテンバンド“BINGO BONGO”のボーカルで、アジアと特に関わりがなかった上に、既に下ネタやセクハラ発言が目立つ軽佻浮薄なキャラクター全開であったため、女性のアジアンポップスファンからどう思われていたのか気になるところだが、いま保存してあるビデオを見返してみると売れてからもこのままだよなぁ、と氏のブレなさと唯一無二の芸風に改めてユースケ凄い!との思いにかられる。世に出るべくして出た人なのだ。僕は好きです。
 
そして「独自の」という番組側の説明ながらもどうやって集計しているのか不明だし、楽しみにしている人がいたかどうかも怪しく明らかに形骸化している毎週のランキング。笑
深夜ならではのある種の緩さも感じられた番組だった。
 
しかしこの『アジアNビート』は少なからずアジアンポップスに対する視聴者の関心を引き、実際にスターを何人も発掘した。
番組自体1998年まで続いたし、特にロックやポピュラーミュジックが表舞台に出始めたばかりの中国のアーティスト陣を日本で売り出すきっかけを作ったのは今考えると偉大だったのではないかと思う。
 
個人的には韓国のソテジ・ワ・アイドゥルを知ることが出来たのは今もって本当にありがたいと思っている。(ソテジに関してはもはやどこの国とかは関係ないレベルで好き)
 

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韓流やK-POP、華流やC-POPの遥か昔にあったささやかなムーブメント。
 
だんだんと一般の雑誌でも特集が組まれるようになり、1995年には『ポップ・アジア』という雑誌まで創刊された。残念ながら僕自身の回りには同じ趣味の人がいなかったので実際どれくらいのものかは分からなかったけど、関連の情報が入りやすくなってきたり音源が手に入りやすくなったりと感覚的にその波は感じていた。
 
 
しかしネットのない時代、それ以外にどうやって情報を得るかと言えば、やはり関連書籍を探して読むしか方法がなかった。
恐らく映画よりも情報が少ない当時、藁をもすがる気持ちで読んでいた本たち。
 
現在僕が所有している何冊かを久々に見てみましょう。
 
エイジアン・ポップミュージックの現在 大須賀猛+ASIAN BEATS CLUB(新宿書房)
 
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エイジアン・ポップ・ミュージックの現在

エイジアン・ポップ・ミュージックの現在

 

 

1993年発行。ちょうど僕が香港から中華圏に興味を持ち始めた頃である。
表紙がシンガポールの大御所、ディック・リー。(裏表紙はサンディー!)
蛇足ながら1994年に上演された舞台『ファンテイジア』を観に行ったくらい僕自身はディック・リーは好きだった。
 
この本が出た当時はアジアと一括りにした場合、一番の看板がディック・リーだったことが伺える。
国ごとの掲載順もシンガポール〜インドネシア〜マレイシアときて中華圏は香港・台湾・中国と一緒くた。さらにタイ〜フィリピンの後に何と韓国・モンゴルのセット!!そしてラストは日本。

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特に日本の項を見てみても、この本が「ワールドミュージック」という観点に重きを置かれているのがよく表れている。
伊藤多喜雄、河内家菊水丸、喜納昌吉、りんけんバンドなどの民謡系に混じって坂本龍一、細野晴臣・・・。ここでも細野さんが絡んでくるのはさすがというしかない。
 
それにしても韓国。個別紹介されているのはキム・チャンワンのみで、その後のコラムではソテジに触れられているものの、既に絶大な人気を博していると言いつつもあくまで韓国語ラップの登場という情勢に触れる程度。そういう部分では古さを感じるのは否めない。
 
個人的には久保田麻琴のインタビューが貴重だなぁと思う一冊。

 

 

アジアンポップス事典 (TOKYO FM出版)

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アジアンポップス事典

アジアンポップス事典

 

 

1995年発行。既に『アジアNビート』が始まり、『ポップ・アジア』も創刊された後。文中にも『アジアNビート』に絡めた紹介がちらほら。
そのためか、番組で特に人気の出たアーティストが大きく扱われている。
まず表紙で一番大きく写真が載っている艾敬(アイ・ジン)。冒頭にも手書きのメッセージが掲載され、個別紹介ではトップにインタビュー込み6ページで登場する。

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そして先述の『エイジアン・ポップミュージックの現在』と比べると国や地域別の順番やページ数なども大きく変化しているなど『アジアNビート』以降の人気がかなり反映されてるように見える。
内容もアーティスト紹介がほとんどなのと、関連書籍やCDショップリストなど入門書的な要素も強く、少しこちらの方がミーハー的でもあり気軽に読める。
 
この本はとにかくソテジ、林強も6ページずつ載っていて僕ウレシイ。
 
アジアポップスパラダイス「ポップ・アジア」編集部 (講談社)
 

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アジアポップスパラダイス (講談社SOPHIA BOOKS)

アジアポップスパラダイス (講談社SOPHIA BOOKS)

 

 

2000年発行。実はこのころ僕はもうアジアンポップスどころか外国への興味も薄れていたので、この本は最近買いました。
ブームに一役買った『アジアNビート』も終わった“その後”をおさらいするような感覚で拝読。
 
その後も発行を続けていた『ポップ・アジア』、表紙を見ても香港四天王はじめとする華流や韓流スターが多く起用されているように、初期のようなマニアックさが薄れている!
この本も香港から始まり、四天王全員のインタビューもあったりであぁこの頃かー、と感じる。

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中国ロックはすっかり牙を失い、崔健が辛うじて第一線に居続けているのが窺えるのはいいとして、あんなにもてはやされていた艾敬はCDレビューが小さく載っているのみ!“1997”が過ぎたらもうこれか(プンスカ)!ポップ・アジアの創刊号も艾敬が表紙だったのに・・・。ソテジもユニットを解散しソロアルバムを出した後。そして林強がDJ活動をしていることが少しだけ書かれている。
 
もうざっとこれだけ見てこの時点ですっかりシーンが変わっているのが理解出来た。
 
この本自体はさすがアジアンポップスを看板にしているだけあり、ミーハーに走らずに幅広く各国、地域の音楽事情について書かれている。
ブームと言われていた時期にもほとんど知ることのなかったベトナム、カンボジア、ミャンマーやインド、さらには北朝鮮まで。
 
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という訳でこの三冊を発行順に見てみただけでどのように日本でアジアンポップスが聴かれてきたかの歴史が追えました。
 
今でもアジアンポップスという括りはあるのかも知れないけど、この当時のような聴き方をしている人は少ないんだろうなぁ。
常に感じていたことだけど、音楽そのものを貪欲に聴きまくっている人でなければアジアというだけで全てを同じジャンルとしてまとめるのは改めて無理があったように思う。笑
ロックならロックとか音楽性が一貫していれば別だけどそれもバラバラだし。
ただ僕自身は中国語を勉強していながら範疇外だった韓国のソテジを知ることが出来たし、インドネシアのダンドゥットのCDを買って聞いたりもしていたので、非ネット時代らしく求めていない副産物的な情報から得るものもあったのは事実。音楽を通して知らない国に目を向けられたのでこれはこれで良かったと思っております。