朝起きて若い頃に留学していた中国の母校・厦門大学へ。
ホテルの前が思明南路なのでそのまま大学方面に歩けば着くはず。
そして通い慣れた通りでもあるので懐かしの店なんかはどうなっているのか…?
ホテルを出てすぐ鴻山寺というお寺がある。
岩の壁面と周囲に建物。こんなのあったっけ。名前はなんか聞き覚えあるようなないような。
そこを越えて歩いていくと道沿いには色んな店が並んでいる。が、どれも比較的最近出来たような感じでどれも知らない。
というか、建物自体が新しい。自分がいた頃はどこも古い建物ばかりだった印象。
しばらく行くと高速道路の出入口もある。もう全く景色が違う。
消防署とかも当時はなかったと思う。
どこまで行ってもピンとこない。あれだけ通った道とは信じられないくらい変わっている。
結構歩いてようやく「南普陀」の表示。もうすぐだ。さすがにここは変わっていないようだ。
南普陀を越えると大学らしい雰囲気にはなってきたが新しい校舎ばかりが目に入る。
どんどん奥へ。
すると、やっと!厦門大学の門だ!
周辺には地方からか、観光客の集団がたくさん。彼ら相手の客引きもたくさんいる。
聞いていた通り、大学の中には関係者や生徒以外は自由に入れないようで、警備員が門の前に配備されている。
警備員に「入るにはどうしたらいいの?」と聞いたら「そこの看板を読め」と言われたので、数枚並べて立てかけてあった赤字に黄色という、変に威圧感のある注意書きを読む。
どうやら見学時間が限られていて、一日の受け入れ人数にも制限があり、完全予約制である、ということらしい。
すると背後から客引きの男が「分かるか?」と話しかけてきた。
「これはネット予約だけ?」と聞くとそうだという。
見ると注意書きの一番下にQRコードがある。
試しにスマホでそのQRを読み取ってみたらAppストアのWe ChatアプリのDLページに飛んだ。
行けば何とかなるかと思っていたら意外にハードル高かった。
看板にあるように、2018年10月22日から今のシステムになったようで、それまでは人数や時間に制限はあったものの、受付で申し込めば入る事が出来た(土日は制限がなかったとも)らしい。もう少し早く来ていれば可能性はあったわけか。これは事前の調査が不十分であった。
ちなみに予約は見学日の72時間前から開始、見学時間は平日で12:30-14:00、1000人まで??
自分がいた頃は誰でも敷地内なら好き勝手に入れたのに。
中で商売していた人はどうなんだろう?これだと客層が絞られてしまうので商売上がったりじゃないのか、それともその流れで退散したか。
昨日は帰ってきたぜ厦門!なんて感激していたのに一気に寂しい気持ちになった。
それでも「ここが私のアナザースカイです!」と心に念じながら校門を写真に撮る。笑
門の前で記念撮影している人はやはり多く、「入るまではしないけど」という感覚の人は多いのだろうと見て取れた。
その後歩いて大学の外側を回る。正門に行ってもやはり同じ状況で、記念撮影してる人多し。
でも正門の方が中の様子が少し見渡せた。ここはあの頃と変わってない印象。
それにしても正門の向かい側を見ると実に多くのお店が出来ている。いくら大学前といっても供給過多なんじゃ、と思うくらい。
無人図書館なんてのも。学校っぽい。
どこを歩いてもちゃんと道が舗装され尽くしている。この時点でもう革命的だ。
こんな所に出入口あったっけ、というようなのも二つくらいあったり、建設中の校舎もいくつかあったり、依然学内も変化の途中のよう。
途中、グラウンドが見えた。すり鉢状になっているグラウンドの上に立っている建物はそのままだ!
柵に手を入れてカメラを構え色んな角度で写真を撮る。ちょっと嬉しかった。
さらに歩を進めていくと、海が見えてきた。
海岸線に横たわるように通る高速道路・演武大橋。
そしてここにある校門が白城という、自分がいた時によく利用していた裏門である。
あの頃は人影まばらで鉄格子しかない寂れた裏門という雰囲気だったのに、ここもそんな面影はなくやはり厳重警備が。
その向かいは砂浜である。ここもよく来た。
白城から砂浜に行くのに歩道橋を渡らないといけなくなっていたが行ってみる。
そこから折り返して来た道を歩く。さっきとは反対車線。
すると、さっきは少ししか見えなかった留学時代の寮、蔡清潔楼がもう少しだけ(上部だけだけど)見える!
すっかり道端で何の写真を撮っているかよく分からない外国人になっていた。
もう一度海側の遊歩道のような道を歩く。前方にはツインタワーがそびえ立つ。
そして再び思明南路に戻り、海沿いの道周りで輪渡から中山路を目指すことに。
今日は天気が良く半袖でも大丈夫なくらい。やっと想定していた気候になってくれた。
おかげで鼓浪屿(コロンス島)がよく見える。
写真を撮りながら進む。
やがて鷺江賓館に到達。もう少し行けば輪渡だ。
やっとそれらしい雰囲気になってきた、と思いきや、ここもやはり当時と全く違う!
よく中山路帰りにここからバスに乗っていた、あの時のロータリーっぽさがなくなっている。
よし、じゃあ次は中山路だ。
道路の整備に従って反対側に渡るための地下道が出来ているのでそこを通って中山路へ。
中山路はホコ天になっていた。
まずあったのは左にケンタッキーフライドチキン。場所は多分違うけどこれは当時もあった。
で、右には中国銀行。これは建物は変わってるけど位置はここだった。
しかし他は完全に変わっていた。記憶にある店はなし。ケンタッキーのライバル的に店舗を構えていたチキントリート(オーストラリアのチェーン店)は見当たらなかった。
途中途中にベンチがあってくつろげるようになってるし、あの頃はもっと狭くるしいイメージだったのに広々として余裕を感じる。
マクドナルド、ケンタッキーの他、スタバとピザハットのファストフード系はやはり安定してある。
あと、昔は一部の店でしか買えなかった外国のスポーツブランドの専門ショップもある!
なんとタトゥーショップも。時代だなぁ。他にもいくつかあった。
途中で思明南路との交差点に来たので、一度中山路を逸れて思明南路に折れる。大学から中山路に来る時に乗るバスのコースでもあったから辿ってみたかったのだ。
緩やかな坂を上がっていく。ここも店がひしめき合っている。
エイプもあった。入って見てみたら厦門にこれを買う若者いるのかな・・・というお値段。(デザインはウケそうだったけど)
やがて当時からあったミレニアム・ハーバービューホテル(厦門海景千禧大酒店・当時はホリデーイン)が見え、泊まっている辺りに出た。このホテルも当時はこの辺りでは一際高い建物だったのに今ではさほど目立たなくなってしまっていた。
その向かいにあるショッピングモール・中華城に行ってみる。
ここにもピザハット。そして日本料理屋もフツーにある。
しかし上階は改装中で、ちょっとした廃墟感。
そのまま並びの店を見て回り、地階に降りてみるとゴーカートのコースもあった。
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その後湖濱南路へ出て厦門駅へ。
駅の真ん前は地下鉄3号線の工事中だった。地下街なんかもあって賑わっていたし、次来た時はまた色々変わっているんだろうなぁ。
一日街を歩いてみて、「懐かしい!」という要素が余りにも少なかったことに若干肩透かしをくらった気がした。
さすがに21年も経っていれば日本だって変化は必然であるが、厦門の変わりようは比じゃなかった。
懐かしいなんて個々人で勝手に抱く感情だし、そんなおっさんのノスタルジーに現代中国は全く付き合ってくれないほどのスピードで進化している。今回それを肌で感じることができ、田舎町だった厦門の成長ぶりを素直に喜ぶことにした。
それにカルチャーギャップをその分たくさん味わえたという部分ではいい時代に厦門に住むことが出来たかなと思う。
(続く)